1997年~2003年頃
情報検索の覇者、グーグル(#3/6)
Googleが幸運だったのは、この頃のマイクロソフトはネットスケープからの訴訟の対応で忙しかったんだ。
マイクロソフトがブラウザ市場を奪い取る仁義なき手段がすさまじく、世間からは弱いものいじめと非難されたんだ。2000年6月マイクロソフトは敗訴している。この隙をついて、Googleはどんどん性能とユーザー数を獲得したって訳だ。

エリック・シュミットは、2001年前半はノベルのCEOを兼任していたので、ノベルの合併に決着がついた2001年7月から正式着任している。ペイジとブリンの部屋は大きなおもちゃ箱だったらしく、自由奔放な2人の経営に驚くも、年の功もあり上手く立ち回り、2人から厚い信頼を得る。
シュミットは知名度ではビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズに及ばないものの、実は3人とも同年齢なんだ。サティア・ナデラ(元マイクロソフトCEO兼会長)は、シュミットとサンで一緒に在籍していたことがある。そのナデラは、シュミットを高く評価している。
【関連】:171 サン、繁栄から終焉へ
初期のGoogleは、インチュイット(Intuit)の会計ソフト Quicken を使用していた。これは大企業が日本で言えば弥生会計を使用しているようなもの。シュミットは、オラクルの会計ソフトの導入を提案する・・・でも、高額だったこともあり「そんなの要らない!」と、2人から大反対されるんだ 😆
そう言えば、オラクルも創業時にクイッケンを使用していたが、会計ソフトの扱う桁が足りなくなった逸話がある 😅 なんとも羨ましい話だね。
【関連】:134 インチュイット と 弥生会計
まあ最初は、どこの企業もこんな感じのエピソードはあるんだね。

2001年のYahoo トップ画面
2000年6月、GoogleはYahooと契約を結び、Yahooの検索エンジンはGoogleの検索結果が使用されることになった。この頃のYahooはネット界では強者だったからね。このニュースはかなり話題になったんだよ。
ユーザー数は急上昇し、それに合わせて広告収益も上昇し、2001年に黒字を計上する。逆にそれまでの数年間は、先行投資の赤字だったって訳だ。
2001年 NEC BIGLOBEなどに検索エンジンを日本企業に売り込むため日本に来ている。ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンが来日したなんてあまり話題にならなかった。まさかこんな巨大企業になるなんて誰も思っていなかったからね。

画像:TECH INSIDER
この頃のGoogleは、1日でなんと1億の検索数をこなしていたとか。
2001年4月、テリー・セメルがYahooのCEOとして就任した。シュミットがGoogleに就任して直ぐ、セメルはGoogleの買収話を持ち掛けている。シュミット46歳、セメル58歳の頃だ。セメルは映画業界では華々しい実績があるがもっぱらのIT音痴だった。当然ながらインターネット文化を理解していなかった。
Google創業時にペイジとブリンはYahooに、Google検索エンジンの買い取りを打診している。この時、Yahooから断られている。今度はYahooのセメルがグーグルを訪れて、買収の打診をしている。
「まともな収入がないのにどうやって食っているんだ」
「よかったら君たちの会社を買おうか?」
「いや結構、会社を売る気はない」・・・グーグルの社員食堂での会話だ。ペイジとブリンの考えが正解だった。
話は先になるが、2006年だったかな? セメルはfacebookに対しても買収話に乗りだしている。セメルは高額な買収額(10億ドル、後に8億5000万ドルだったかな)を提示し、多くの社員は買収に乗るべきだとザッカバーグに詰め寄った。みんな大金持ちになれるからね。
しかし、ザッカバーグは買収に興味を示さなかった。今となっては、これも大正解だった。

「もしかして〇〇〇?」なる機能も搭載したし、画像検索機能さえも提供した。ラリー・ペイジ、サーゲイ・ブリン、エリック・シュミットの3人体制は、見事なまでに機能した。2003年あたりには対応言語が百か国近くとなり、母国語での検索が可能となった。必然的に利用者は世界中に広がっていく・・・。ホント、凄いよねぇぇぇ。
アイキャッチ:遊び心いっぱいの2010年のパックマンGoogle Doodle
Past Google Doodles: PAC-MAN (2010)