自分とコンピュータ史

139 スケルトンPC iMacの登場

ジョナサン・アイブ #3
1980年初頭~2019年
137 アップル天才デザイナー ジョナサン・アイブ

(前回からの続き)
アップルを去って12年、1997年ジョブズがアップルに戻って来た。

「アップルのどこが悪いか教えてくれないか」とジョブズが問いかける。
誰も返事をしないでいると、ジョブズは突然大声で怒鳴り始めた。
「プロダクトだ!プロダクトが最悪じゃないか!セクシーさがどこにもない」
ジョニーはその部屋の後ろのほうに座っていた。辞めたいと思っていた。
ジョブズの言葉にはっとした。
(ジョナサン・アイブ 146頁)

ジョブズは過激な販売戦略を行った。
「売るマシンは4種類だけ。ノートブックとディスクトップ。それぞれプロ用と家庭用だ」 、アメリオの販売スタイルと真逆を指示してきた。

結果を知っていれば誰でも戦略は取れる。
しかし、結果を知らなければ恐怖との戦いだ。「死ぬほど怖かった」ジョブズの本音を別の本で知る事が出来る。リスクに挑む姿は読んでいても興奮してくる。


プロトタイプを作成するAppleデザイナー(※注)

暫くしてジョブズはジョニーの構えるIDg(Industrial Design group)の存在を知る。
IDgを初めて見て、スタジオの創造性に驚き、ジョブズはジョニーを気に入る。ここでジョブズとジョニーによるiMacが誕生する。ジョブズはいつしかIDgに入り浸りになる。

iMac誕生

試作品のコードネームは「コロンブス」、製品名は簡単にiMacと決まらなかった、ジョブズは最初「マックマン」はどうか?と尋ねている。「とんでもない」デザイン開発メンバーのシーガルが「iMac」をジョブズに何度も強く推した結果でもある。182頁にあるエピソードが、書籍「ジョナサン・アイブ」の至る所に描かれてある。アップルファンなら面白いに違いない。

iMac製品発表会で、
「すべて半透明だ」
「中が見えるんだ。凄くクールだろう。裏側は他のコンピュータの正面より美しいくらいだ」
「まるでほかの星からきたみたいだ」
「きっといい星だ。いいデザイナーのいる星に違いない」
(ジョナサン・アイブ 186頁)

ジョニーとデザインチームの多くは会場に座っていた。これを聞いて誇らしく思わないはずがない。
いいよねぇ~、こうして会社の仲間を称賛したいもんだよねぇ


初代iMacは Bondi_Blueの1色で登場する (1998)

最初に発売されたボンダイブルーのiMacはフロッピー・ディスク・ドライブ(FDD)の搭載を捨てた。FDDを捨てたiMacは評論家に散々けなされた。
しかし、ユーザーに広く支持され売れた。

その翌年、ジョブズは「マシンは気に入ったが、色は駄目だ」と、新しい色のiMacを指示した。

デザインチームは3週間なる超短期間で試作品に取り掛かる。
カラフルに並ぶiMacを前に「すごいな」とジョブズが言い、気に入った何色かを選んだ。
「女子の好きなピンクも欲しい」
デザインチームは10日間で5種類のピンク色の試作品を作り、ジョブズはその中から一つを選んだ。


5種類のキャンディーカラーで登場 (1999)

普通の会社なら何カ月も要することを、ジョブズは30分で即決した。これにはジョニーは驚いた。少しの誇張はあるかもしれないが、実に痛快な文面だ。

iMacはこの業界にファッション概念を取り入れたのだ。

こうしてアップルは蘇る。
このあとiPodやiPhoneなるヒット商品を連発するが、それは別の投稿で。
ジョブズの開発ストーリー本って面白いよね。


(※注)ジョナサン・アイブ時代のアップルデザインスタジオの動画からの画像。YuoTubeで見ることが出来る。デザイン事務所って お洒落にレイアウトされた空間かと思っていたが、動画で見る限り試作品を組み立てる徹底した技術工房の感じがする。復帰したステーブ・ジョブズがジョナサン・アイブが率いるこのデザインスタジオに入り浸りるのが頷けてくる。確かにイメージが膨れそうだな。

グーグル秘録の284頁(ユーチューブ買収の内容) に、ウォルト・ディズニーCEOのローバート・アイガーが、ディズニーの最大株主となったジョブズに「デザイン研究所にどのくらいの頻度で足を運ぶんだい?」と質問したことがあった。アイガーは、せいぜい週1回程度の返答があると思っていたようだ。
しかし、ジョブズはこう答えた。「1日、2~3回」

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