1999年~2012年
マリッサ・メイヤー(#1/2)
僅か6年でGoogleの副社長にまで駆け上がったマリッサ・メイヤーの話を書くね。
内気な性格ながら非常に頭脳明晰な女性だ。
ハーバード大学、エール大学、デューク大学、ノースウェスタン大学など全て入学許可を得て、そこからスタンフォード大学に選び、そのまま大学院も通ったとか。凄いよねえ。
既にマッキンゼーに内定を貰っていながら、1999年 Googleに入った。正社員としてでなく、インターンシップとしての見習いからスタートだったようだ。どうやら風貌に似合わないコンピュータ・オタクだったらしい。

この頃のGoogleは社員20名にも満たない会社だったから、まさにGoogle黎明期に入社しているんだね。メイヤーは社員番号20番より前(卒業前に採用されたため、15~20番の情報しか分からないとか)。マッキンゼーに内定していながら、先行き不透明なGoogleを選んだのは、超優秀な集団に魅了されたと、その後に語っている。
1999年入社するも、いきなり週100時間働いた(さすがにこれは誇大表現かもしれない)😅 仕事は楽しかったから苦にならなかったらしい。24歳の女性一人が、男性エンジニアたちに交じって昼も夜も夜中も仕事をした。プログラミングでは勝てないことを悟り、主にGoogleの look and feel なるUI(ユーザーインターフェース)回りを担当する。
彼女の仕事が認められ、メンバーからリーダーに昇格し、発言権が強くなっていく。2000年には製品の決定にまで口を挟むようになったようだ。
この頃、ラリー・ページとメイヤーは付き合っていたことは、ちょっと知られた話。社内でも公認だったようだが、2人のことだから仕事と恋の切り分けをしたんだろうね 😆
付き合っていた頃もメイヤーの仕事量はすさまじかった、何よりも多くの優秀な結果も残している。あの爽やかな風貌に似合わずね。とにかく超ハードワーカーだったことは業界では広く知られているんだ。

画像:TechCrunch
2001~2002年には、彼女が認めないと開発は進められないまでの発言権を得るが、逆に他の社員と軋轢が生じるようになる。彼女よりプログラミング能力の高い年上エンジニアもいるからなんだ。
検索エンジンを主軸に、Gメール、Googleニュース、GoogleマップなどのUI構築に携わる。
我々が使用する使い易いUIは、メイヤーの功績が大きいようだ。人々は益々Googleを使用し、逆にYahooの利用数は減少していったんだ。皮肉な話だが、メイヤーはいづれそのYahooのCEOになるんだけどね。
2006年頃からGoogleは急速な成長を続け、世界で最も注目される企業となる。誰もが知る企業って訳だ。

[The Most Powerful Women] にも選出されている
参照:ASCII.jp ビジネス
30歳前後の彼女はマスコミにもあちこちに登場し、Googleの広告塔になっている。この頃が彼女のGoogleにおける絶頂期だったのかもしれない。
とにかく彼女はハードワーカーだった。メイヤーは部下にも一切の妥協を許さず、部下として働くのは大変だったようだ。
権限が強くなると社内に敵は多くなる。社内の軋轢で足元をすくわれ、メイヤーは身の置き場がなくなってしまうんだ。(Yahoo編につづく)

失敗することは仕方のないこと、でも失敗するなら早く

FAILING FAST/KADOKAWA 2015年10月30日 初版