自分とコンピュータ史

183 グーグル、シェリル・サンドバーグと出産

2001年~2007年
シェリル・サンドバーグ(#1/2)

以前、サン・マイクロのキム・ポレーゼとグーグルのマリッサ・メイヤーを触れたけど、それならシェリル・サンドバーグも書かなければと思った。

女性たちの社会進出


Marissa Mayer (左), Kim Polese (右) 出典

キム・ポレーゼはJAVAを世にメジャーにした救世主、マリッサ・メイヤーはYahooの広告塔、Googleで各種プロダクト製品を世に送り出している。ともに才色兼備だ。
【関連】:170 サン、至宝のJAVA発動!

マリッサ・メイヤーは、GoogleからYahooのCEOで迎い入れられるとき、既に妊娠していた。いきなり妊婦がCEOとなり職務を遂行している。2週間ほどしか休みを殆ど取らなかったことに対して、多くの人から批判された。

シェリル・サンドバーグは、2001年末 Googleに入社してから妊娠するが、妊娠時は職場の仲間から「くじら」とあだ名を付けらたと自らの著作本「LEAN IN」で語っている。

グーグル秘録 P401では、Google Adwordsはサンドバーグが作ったと書かれてある。勿論、自らプログラミングした訳ではないが、製品を生み出し、形に仕上げたのはサンドバーグだと書かれてあるんだ。サンドバーグ自身は、こうした実績を高く評価してくれなかった不満もあった。とあるクリスマスパーティーでザッカバーグと会い、立ち話の末、翌年の2008年3月にfaceookのCOOに就任するんだ。

 Googleはサンドバーグを引き止めにるため上位ポストを用意するも時遅し、サンドバーグは辞退する。彼女のAdwordsとAdsenseの部隊は、Googleの利益の半分以上を稼ぎ出していたんだね。サンドバーグが退職することは、Googleにとって かなり大きな損失だったはずだ。サンドバーグ自著 [LEAN IN] で、自ら4,000人を率いていたことを書いている。

出産後、何日メールを見ないでいられる?

マリッサ・メイヤーは仕事中毒だったけど、複数の関連本を読む限りサンドバーグも似たような感じだ。否!私的にはそれ以上だったように思える。

サンドバーグは、マリッサ・メイヤーより6歳ほど年上だがGoogleの入社はメイヤーより2年後になる。サンドバーグは2001年にGoogleに入社し、2004年に妊娠している。

ベストセラー本「LEAN IN」にこんな記載がある。
Googleは常に新しいプロジェクトが発生し、チーム編成され、日々変化している会社。産休後に職場復帰したら、自分の仕事があるのか不安になる。(彼女ならそんなはずがない、謙虚な表現だと思う)

もし、産休の3ヶ月、同僚(全員男性だった)が仕事を引継ぎ、彼らが完全遂行してしまえば、自分の仕事は奪われてしまうんじゃないだろうと思う危機感だったとか。

 上司に相談すると、「まずは出産に専念し、仕事のことは一切忘れなさいと」なった。

そこでサンドバーグは、「仕事と私生活にしっかり区切りをつけ、3か月の産休を完全にとり、その期間は一切パソコンの電源を入れない!」と同僚らに宣言するんだ 🙂

でも、同僚は誰も信じなかった。
同僚は、出産後にサンドバーグが何日間 メールを見ずにいられるか、賭けをする始末だったんだ。

・・・で、結果はどうだったかって?

サンドバーグは、出産の翌日に病院のベッドでパソコンの電源を入れメールを見てしまうんだ 😅

結局、サンドバーグは産休の3ヶ月間、殆ど休みを取らなかった。その期間は自宅で仕事をした。これは彼女自ら書いた本で言っているんだから間違いない。


イメージです

いよいよ仕事復帰で出社する日になった。
大好きな仕事に戻れると気持ちは高まったが、自宅を出るとき涙があふれたらしい。

赤ちゃん(息子)がそばにいない!産休中も自宅でずっと仕事をしていたが、出社するとその時間会えなくなるからね。

彼女の解決策は、朝5時に起きてメールをチェックをし、9時に出社し、5時半にはオフィスを出て、帰宅後も赤ちゃんをあやしながらも仕事をする。これをかなり長い期間を続けたと自ら語っている。

不夜城Google社内で 9時~17時だけの勤務は かなり目立つはずだ。サンドバーグは、ビクビクしながら見つからないように退社していた記述さえある。まあ、そんな気を使わなくても彼女の働きなら問題ないんだけど。


facebook時の安倍首相との面会 政府広報オンライン

2005年、同僚のスーザン・ウォジスギ、マリッサ・メイヤーらとウィメンズ@Googleを立ち上げている。「LEAN IN」なる本には、女性の社会進出についてのサンドバーグの見解が熱く・熱く語られている。

2番目の自著「OPTION B」198ページにも記載されているんだけど、中国にも「LEAN IN」ブームは広がり、中国の [リーン・イン・サークル] には、8万人を超える女性が参加したとか。8万人だよ8万人!

ちょっと調べたら日本にもあるようだ。リーン・イン ネットワーク東京

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