1990年代後半~2010年代
UNIXの覇者 サン・マイクロシステムズ(#4/6)
SPARC と ソラリスの登場
飛ぶ鳥落とすサンだったけど、組織がしっかりしないうちにロケットみたいに垂直急成長したツケが回ってきた感じ。UNIXの統一化はご破算になるし、NeWSはX-Windowsにその座を奪われるし、386i系マシンは中途半端に終わるし、と苦戦を強いられた時期は続いた。それでもサンはサン。UNIXの覇者だったんだな。

SuperSPARC と UltraSPARC
UNIX戦争が収束する前に、サンはRISCチップのSPARCチップとUNIX OSのソラリスを誕生させている。このSPARCのメイン製造メーカーが富士通だった。日本企業がCPUを作っていたって訳だね。
1995年頃からインターネットが爆発的に広まり、UNIX搭載のサーバーが中心に使用された。1998年頃には、HPからサンがUNIXサーバーのトップメーカーに躍り出るんだ。

SPARCプロセッサの歴史/インプレス(※出典)
プロセッサ名は、SPARC → SuperSPARC → HyperSPARC → UltraSPARC → SPARC64 と進化していった。
スパークの接頭語に スーパー、ハイパー、ウルトラと、冗談みたいな名称で市場に投入したんだ。初代SPARCの後継Superは期待外れに終わり、その後Ultraで大きく巻き返す。
余談だけどUltraと言えば、昨年の2023年12月にインテルが40年の一度の大改革を行い、Core Ultraを発表している。CPUの構造が大きく変わった。
SPARCチップは富士通と密接に関係していて、富士通系のメインフレームや他メーカーのハードにも使用された。この頃のSPARCチップは高く評価されていたんだ。当時、しきりに業界紙でSPARC製品を取り上げていたことを記憶している。

富士通SPARC64プロセッサの軌跡/富士通(※出典)
1993年にWindowsNTが市場に登場し、徐々にUNIX市場に浸食してくる。Windowsは上へ目指し、UNIXワークステーションは下へ裾野を広げようとした。IBM、DEC、HPに限らず多くのハードメーカーはWindowsNT機を投入し、UNIX機も投入した。私が知る限りだけど、サンだけはUNIX機に拘り続けた感じだった。
オラクルのラリーエリソンは「PCは高すぎる」と、500ドルのNC(Network Computer)を熱心に宣伝する時代だった。ちょうどスーパー情報ハイウェイが話題になった頃でもある。
おまけ…

ビル・ジョイが開発した UNIX C SHELL 解説本(1987年10月15日 初版)。分かり易くて、今も捨てられず本棚にある。ビル・ジョイはUNIX標準エディタのviやCシェルも開発していた。
UNIXの神様と崇められたビル・ジョイが来日した時、ラフな格好をしたジョイをスーツ姿の富士通陣営は憧れのまなざしで歓迎したんだ。
昨今、業界のVIPの来日は少なくなった感があるが、80年代後半~90年代はビル・ゲイツを含めて、やたら業界スーパー著名人らが来日していた。