1995年~2000年頃
UNIXの覇者 サン・マイクロシステムズ(#5/6)
JAVA MAN!
FORTUNE JAVAMAN (1997年10月13日号)
Sun’s Scott McNealy must stop Bill Gates from dominating
The corporate universe! will the magic of java save the day??!!!
サンのスコット・マクニーリは、ビル・ゲイツによる世界企業の支配を阻止せねばならぬ! 果たして、Javaの魔法で世界を救うことができるのか?!
サンにジェームズ・ゴスリンと称するスーパーエンジニアがいた。Sun WindowsなるNeWS(Network extensible Window System)を開発するも DECらのX-Windowsに座を奪われる。その後、Java言語の生みの親となる人物だ。
しかし、新技術は次々に登場し、日の目を見ることなく消えていく厳しい市場。Javaもその消えていく可能性がなきにしもあらずだったんだ。
女神 降臨
Marissa Mayer (左), Kim Polese (右) 出典
ここで救世主の女神 キム・ポレーゼ(写真 右)が登場する。
1995年3月、もともと技術者でもありプロダクツマネージャーを任されたポレーゼは、オーク言語をJavaと命名し、サンノゼ・マーキュリー・ニュースにJavaは素晴らしい製品だとオーバーアクションを加えて吹聴する。これが功を奏したのは業界ではそこそこ知られた話。日の目を見ずに消えていったかもしれないJava言語に一躍注目が集まることになったんだ。
二人の活躍する年代は若干異なるが、マリッサ・メーヤー(写真 左)はその容姿からGoogleの広告塔だった。Googleの副社長、YahooのCEOまで登りつめる。ご存じの人も多いと思うけど才色兼備の彼女はメディアによく登場した。
Java旋風とJava騒動
SPARCチップとOSソラリスの登場、そしてJava言語はサンにとって非常に強い追い風となったんだ。私もサン復活!と思ったもんだ。
Java言語は、大手企業もサンからライセンスを受けた。そこにマイクロソフトもいた。サンはマイクロソフトにライセンス許可することに大きな抵抗はあったが、Javaを市場に広げるためにはライセンスを認めるしかなかったんだ。
しかし、このあと大問題が発生し、1997年10月にサンがマイクロソフトを提訴するんだ。
【関連】115 サンマイクロJava vs マイクロソフトJava
これは「サン・マイクロシステムズ(世界的ハイテク企業の痛快マネジメント)」の第10章にも詳しく書かれてある。
ひとことで言えば、マイクロソフトがJavaの改版を配布し、それを用いてエンジニアがプログラムを開発するとウインドウズでしか動作しなかった。これ本当なら凄くまずいよね。
勿論、サンに訴えられたマイクロソフトは反訴し、1年もの抗争は続いた。1998年11月、最終的にサンが勝訴する。
その控訴中の1998年3月、HPは突然プリンター等に使用するJavaに似た組み込み型の競合製品を開発すると発表した。HPは、Javaソースを利用しないゼロからの開発だから合法だったけど、サンとマイクロソフトが闘争中だったんだ。
何故、この時期だったの?
理由は、サンが市場向けJavaを標準にしようとしたからなんだ。HPは組み込み型制御システムのリーダーとして既に長い実績と経験があったからね。サンに合わせる必要なんかなかったんだ。
この頃、ネットスケープはマイクロソフトから物凄い攻撃を受けていた。マイクロソフトはIE(Internet Explorer )を無料提供に至る。ネットスケープは完全に販路を失い、マーク・アンドリーセンは1998年11月 ネットスケープをAOLに売却する。間もなくサンは、AOLと同盟を組むんだ。
このあたりの経緯は複雑で、結果だけ書いても誤解を招くかもしれない。よってAOLに関しては別の投稿で触れますね。
1996年、絶好調時のマーク・アンドリーセン(24歳)
その後、Javaは大人気プログラミング言語になるんだね。