2004年~2012年
ヤフー!(#3/5)
2004年あたりからYahooはGoogleに完全に抜かれ、差が広がる一方だった。Googleの最大の勝因はアドワーズでの広告収入の激増だ。

高額な広告料の企業広告をトップに出すのでなく、より評価されている広告をトップに表示する仕組みが成功につながった。高い広告料を出す広告主も その次に表示してくれたから納得してくれた。賢い戦法だよね。
マイクロソフトは、このGoogleの快進撃を恐れた。
このままではGoogleにネット業界を牛耳られてしまうってことで、マイクロソフトはYahooの買収を何度も打診する。既にGoogleに水をあけられていたYahooだったが業界2位であり、マイクロソフトがヤフーを吸収すれば、Googleに何とか対抗出来ると判断したからだ。
しかし、なんだかんだでヤンはマイクロソフトの買収案を断る。2008年2月のことだ。食うか食われるか、大企業のトップは想像以上に大変で、ヤンはCEOの責任の限界にきていた。そして、自分は経営者として向いていないと悟る。
キャロル・バーツ 登場
2009年1月、そこでキャロル・バーツCEOが登場する。当時60歳、セメルの就任時58歳より上だ。
バーツはDEC、サンマイクロで役員にまで登り、オートデスクCEOにスカウトされている。平凡なソフトウェアメーカーからCADソフトウェアのトップメーカーに導いた。
バーツは、2006年5月にオートデスクのCEOを降りていたけど、たまたまヤンとバーツがシスコの取締役であったこともあり、CEOの重圧に苦しんだヤンは、シスコの取締役会議でYahooで改革をやってくれないかと誘ったって訳。
「私にできる仕事じゃない」と一時は辞退もしたバーツだったが、周囲の強い説得もありCEOに就任する。
しかし、CEOとして采配をふるうが実績は芳しくなかった。DEC、サンマイクロなど名門企業の経験はあったが、バーツもネット業界に詳しくなかったんだ。
リスティング広告は大きくGoogleに水をあけられ、ディスプレイ広告(※)は、Googleより有利であったにも関わらずfacebookに抜かれてしまう。バーツが注力したメール連動広告も 既に時代遅れになりつつあった。スマートフォンとSNSの普及で、メールの使い方が変わったからだ。
(※) リスティング広告とは、検索キーワードに連動して表示される広告。ディスプレイ広告は、Yahooのようなポータルサイトのトップ等に表示される広告
これも時代の流れだ。バーツに責任はないと思うが、2011年9月に解任される。
スコット・トンプソン 登場
2012年1月、米eBay傘下のPayPalの社長だったスコット・トンプソンがCEOに就任する。
トンプソンも、セメルやバーツ同様、ネット業界の経営に詳しくなかった。何も成果を残さず、僅か数か月で退任することになる。
トンプソンを調べると、経歴詐称の言葉が目につく。これは、ペイパルCEO時代にコンピュータ・サイエンスの学位を持っていると紹介され、トンプソンは直ぐにそれ(コンピュータ・サイエンスの学位を取得していないこと)を否定すれば問題は大きくならずにすんだのに、曖昧に対応してしまった。勝手に独り歩きして、経歴詐称だとマスコミが騒ぎだしたようだ。
キャロル・バーツもスコット・トンプソンも経歴は超エリートだ。でも上手く舵取りが出来なかった。いかに経営が難しいかが分かるってもんだ。
そんな中、Googleで行き場のなくなったマリッサ・メイヤーに声がかかる。メイヤーはGoogleでは経営には関与しなかったが、Googleのサービスを大ヒットさせ、それらを熟知した人物だ。ネット業界を十分知り尽くしている。
噂を嗅ぎつけたメディアは、スーパー・ヒロインの登場と騒ぎ出し、Yahooに希望が見えだすんだ。