自分コンピュータ史

166 UNIXの覇者 サン・マイクロシステムズ

前回、データベースの雄オラクルについて書いてきたけど、2009年9月にオラクルは サン・マイクロシステムズを買収する。

1982年~1985年頃
サン・マイクロと4人の男たち(#1/6)

世界トップのハイテク企業だったサン・マイクロシステムズは、まず4人の創業メンバーからスタートする。


Sun Data Center 画像 electrical-engineering-portal

・ビノッド・コースラー(1955.1.28 birth)
・アンディ・ベクトルシャイム(1955.9.30 birth)
・スコット・マクニール(1954.11.13 birth)
・ビル・ジョイ(1954.11.8 birth)

コースラーとベクトルシャイムの2人が、マクニールを誘う。コースラーとマクニールは以前から仲の良い友人だった。

ベクトルシャイムは優秀なエンジニアであり、彼を中心にUNIXワークステーションを開発するが、どうにも亜流UNIXに満足できなかった。そのため3人はUNIXにとても造詣の深いビル・ジョイを口説き、1982年に仲間に加える。

なんだかんだで創業はメンバー4人で始まった。

ベクトルシャイムとジョイは、天才技術者と一目を置かれ、マクニールは積極的外商マンとして会社をどんどん成長させていく。コースラーは1985年に退任させられる。

コースラーの退任理由は、会社が大きくなるにつれ、優秀な社員以外に不愛想な態度が周囲から敬遠されたとか。但し、退任後も同級生で友人だったマクニールとの親交は続いている。

1984年29歳でトップに据えられた好戦的なスコット・マクニールが会社を引っ張っていく。ベクトルシャイムの設計したハードとジョイのBSD版サンOSが、いづれ市場に広く知られるようになる。特にUNIXの神様(特にBSD関係)と称されたビル・ジョイは日本でも人気が高かった。ビル・ジョイが来日したとき、日本の技術者達はまるでアイドルスターに会うように接したんだ。
 


William Gates Computer Science Building

1998年と先の話だけど、のちのグーグルの2人の創業者(ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン)は、このベクトルシャイムに投資のお願いに会っている。ベクトルシャイムはグーグルの誕生に力を貸しているってことだ。そのペイジとブリンは、ビル・ゲイツの名前のついたスタンフォード大学の360号室(注1)なる部屋に入居し、検索システムを開発する。

更にグーグルの話を続けるなら、このサン・マイクロシステムズに在籍していたエリック・シュミットはノベルを経由して、いづれグーグルに移りグーグルのトップ3となる。創業者のペイジとブリンは、若すぎて会社として十分な舵を切れなかったと言うのが理由だったんだ。

更に更につけ加えるなら、アンディ・ベクトルシャイムも、いづれサンを経てノベルに行き、さらにシスコシステムズに担当副社長として就任するんだ。


アポロ DOMAIN DN2500 UNIXワークステーション

サンの2年程前に創業していたアポロがサンの最初のライバルだった。マクニールの強気な営業で、サンはアポロの顧客さえも奪っていく。マクニールの血気盛んな性格が後々業界内では嫌われ、会社は孤立していく。

既にマイクロソフトはIBMにDOSを提供し、急成長している頃でもある。マクニールはビル・ゲイツを嫌っていたため、社内ではマイクロソフトの製品を使わせなかった逸話さえあったんだ。


自分と比較にならないけど、私にもちょっと似たような体験がある。まだMS-WORD VS 一太郎の時代だった頃、IBMのリストラが横行していた。日本IBMの部長クラスだった営業マンが取締役として、当時 私が在籍していた会社にヘッドハントされた。


一太郎5(1993年)はWindows対応となるがフロッピー提供だった

まもなく文書作成は一太郎を使用するように指示が出て、WindowsからOS/2 Warpの使用指示が出た。Warpの使用は、開発者だけの限定的なものだったけど、関係した社員はブーブー言った。私はOS/2 Warpを堂々と触れることにむしろ歓迎したし、少量の文書作成しかしないので、一太郎でもWORDでもどちらでも良かった。


注1:William Gates Computer Science Building on Stanford University
スタンフォード大学に建物を寄付した関係で、4階建てのお洒落な建物はゲイツの名前が付けられた。
【参考】ガレージから Googleplex へ

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