自分コンピュータ史

164 ラリー・エリソン by オラクル快進撃

1985年~2010年頃まで
ラリー・エリソン by オラクル(#4/5)

華麗なる生活

エリソンは、大の親日家で知られている。
初めて日本に旅行をしたとき、京都の日本庭園に魅せられ、その静観なる美に息を呑んだとか。自宅は京都の桂離宮を手本に、窓は障子、客室寝室は畳、本格的な茶室、造園家による日本庭園。桜の咲く季節になると金髪の彼女を連れて日本を訪れた。


エリソン所有プライベートヨット「ムサシ」

日本庭園だけでなく接客用の別宅も負けず劣らず豪華。複数の超豪華ヨット、何台もの高級車、自家用飛行機、この本の出版時は、アメリカ第5位の資産家となっている。金があるから女にもてる、とにかくプレーボーイで有名なのだ 😲


写真と本文は無関係です

大抵の人はこうしたプライベートなことを書かれることを嫌がる。名誉棄損と訴えだす人もいる。
しかし、エリソンは気にしない(…と思う)、この「カリスマ」の出版を認めた時点でタダ者ではない人物だと理解できる。とにかく世間に注目されるのが大好きなんだ。ビル・ゲイツを敵対視し、スティーブ・ジョブズと非常に仲が良かった。

エリソンがジョブズと仲が良くなるのは、ジョブズがアップルを去る頃だから、ジョブズとエリソンがともに親日家であるのはエリソンの影響ではなさそうだ。


オラクル・チーム・USA 画像 YANMAR

データベース戦争の勝者

1985年のバージョン5(オラクル5)頃から世間的評価が高くなり、オラクルDBは私も良く知る存在となる。私も少しばかりシステム開発時に経験したからね。ただし、本(352頁)にはオラクル6はバグだらけだったと書いてあるんだ…。

オラクルが幸運だったのは、当時IBMはIMS(Information Management System)なる階層型DBを取り扱っていたため、最初はRDBの導入に消極的だったことにある。IBMは1982年にRDBであるSQL/DSを発売するも微妙な状態で終わっている。その後の1985年に発表されたDB2が凄かったせいもあるんだけどね。

それとイングレスはQUEL言語だった。しかし、IBMはSQL言語だった。絶対王者のIBMがSQL言語であることは、オラクルにとって非常に優位となった。顧客は「IBMがSQLなら、わが社もSQLを採用しているオラクルにしよう」って感じになるからね。当時はIBM中心だったからなんだ。

尚、1982年に企業として設立したイングレスもIBMのコッド博士のRDB理論から実用化し、1980年代はシェアの大きかったイングレスだったが、1980年代後半になるとオラクルにシェアを奪われる。更にサイベース、インフォミックスらが市場に登場し、1990年代は市場競争を繰り広げることになる。

私はサイベースとインフォミックスの構築経験はないが、システム提案時にライバルデータベースを比較参考資料として添えていた。まあ、サイベースとインフォミックスは知らなかったので、正直オラクルのオマケ的な資料だったけど😅

1985年 IBMはDB2なる強力なRDBを発売するが、それはメインフレームの話。既にオラクルは試行錯誤を繰り返し、ミッドレンジ市場では1歩も2歩も先に進んでいた。

ちなみに、PC市場はアシュトンテイトのdBaseが市場を独占していた。PC市場のデータベースはまた別の話でね・・・

【 DB関連 】 081 データベース戦争

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