1997年~2002年頃
情報検索の覇者、グーグル(#2/6)
1997年 Googleの付けた名前は、Googolの綴り間違いだったことは有名な話で、メンバーがスペルミスを指摘したものの逸話だけ残ってしまった。もっとも綴りが正しければ、ドメインGoogolは既に使われていたはずだから、高額でドメインを買い取った気がする。
Google ロゴ

Google’s First Logo(1997年)
う~ん…お世辞にも良いとは言えないよねぇ~ 😆
シンプルな Googleのロゴはデザイナーに依頼せず、ブリンがフリーソフトのGIMPで自分でデザインしたらしい。

Google’s Beta Logo(1998年) Wikipediaより
こちらのロゴは現在とほぼ同じだね。Yahoo!をまねて感嘆符を加えている。この頃のYahooは検索の王者だったからね。
このGIMPって言う画像処理ソフトは、機能は豊富だけど使い難いシロモノなんだ。私も悪戦苦闘しながら使用した経験があるが、使い難い印象しかない。結局、別のソフトに乗り換えてしまったんだ 😟

25周年にちなんだロゴの変遷(by Google)
お金がない!
Googleの検索機能は、性能が高く使い易いと評判は広まるも収益の道筋が見つからなかった。大手企業・ネット企業や組織・団体へのライセンスで収益を考えたが企業の反応は芳しくなかった。爆発的に増えるトラフィックに対し、まだ2人は広告掲載を頑なに拒否していたんだ。
収入を確保するため、2000年10月 オーバーチュアのような広告事業に乗り出す。最初は50社の企業だけのアドワーズテスト版で、特定の検索ワードに対して検索結果の横に小さなテキスト文字を出した。

Google’s First Production Server (1999) detail (画像:wikimedia)
Yahooの広告手法は、スポンサーの支払い額に応じて検索結果の横に無条件に表示される。多くの検索エンジンはこの手法だった。つまり高額な広告料を出せば、関心の有無に関係なく必ず広告はトップ表示されたんだ。
かたやGoogleアドワーズの広告手法は、検索結果に関連性の高い広告を表示するロジックを組み込んだ。高い広告料を貰っても表示されない可能性はあるってことだ。Googleを利用する検索者は広告も必要な情報となり、検索結果が広告だと気づかない人がいた位だからね。
更に持ち前の技術力で、オンラインで広告掲載を申請出来るようにした。それをGoogleアナリティクスで効果を判断してもらう・・・技術力は凄いから行動は早かった。たいしたもんだよ。
2002年 広告主が自分の予算に応じて掲載量を変えられる新アドワーズを導入する。ライバルのオーバーチュアは特許侵害で訴える。

経営難に悩まされたオーバーチュアは、2004年にマイクロソフトとヤフーに身売りを打診する。ヤフーが身売りを受け入れ オーバーチュアを子会社にする。ちょうどGoogleは株式公開の時でもあり、Goodleはヤフーに270万株を与え オーバーチュアの起訴をとりさげさせている。
今はオンライン登録は当たり前だけど、最初は広告掲載にも人が介在していたんだ。サービス内容は、広告料金に上限を設け、クリック数に応じて表示するサービスへと進化していったんだ。流石としか言いようがない。
1999年に10,000件/日の検索件数が、2000年には15,000,000件/日の伸びを示し、2001年初頭には1億件/日と驚異的な伸びを示したとか…。書籍によって、数字は微妙なので参考程度にね。
Google’s First Production Server (1999) detailの画像引用:wikimedia.org