2004年頃~2005年頃
フェイスブック(#2/6)
facebookは、申請して了承を得ないと友達になれない。申請される側の友達が重要な判断基準になる。

マーク・ザッカバーグ・・・・・創立者
共同創立者として3名が加わった。
ダスティン・モスコヴィッツ・・ルームメイト
クリス・ヒューズ・・・・・・・ルームメイト
エドゥアルド・サベリン・・・・ザッカバーグの大学の親友
OSはLinux、HTML、PHP、JavaScriptで制御し、DBにMySQLとオープンソースで固めた。暫くはサーバー会社に85ドル/月を支払って運営していた。よって、費用は殆どかかっていない。
Googleのラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンと同様、スタートアップ企業のお馴染みのパターンとも言えるね。facebookはソーシャルネットワークの走りではあったけど、この頃、既に沢山のソーシャルサイトは存在していた。

その後のウィンクルヴォス兄弟は仮想通貨で大成功
同大学内のキャメロンとタイラーなるウィンクルヴォス兄弟は「ハーバード・コネクション」というソーシャルサイトを作ろうとする。だが、彼らはプログラミングが出来なかったため、ザッカバーグにプログラム開発を依頼する。ザッカバーグは暫く手伝うが、そのうちfacebookの開発が忙しくなってしまう。
2004年2月 facebookが公開される。これを知ったウィンクルヴォス兄弟は激怒し、アイデアを盗んだとしてザッカバーグを訴える。このゴタゴタは、facebook創業物語に必ず登場するんだ。

friendster beta(2003)
facebook以前にフレンドスター(Friendster 2003年2月)、リンクトイン(LinekdIN 2003年5月)、マイスペース(MySpace 2003年8月)等のSNSが既に立ち上がっていた。facebookはこれらを打倒するためサービスに磨きをかける。更につけ加えるならザッカバーグはフレンドスターのメンバーでもあったから、フレンドスターを参考に facebookを機能改善していたはずだ。確かウィンクルヴォス兄弟もフレンドスターのメンバーだった。
だからヴォス兄弟のハーバード・コネクションのアイデアを盗用したなんてあり得ない。
恐らくザッカバーグがヴォス兄弟に訴えられた理由は、「ハーバード・コネクション」の開発を請けておきながら、ヴォス兄弟から進捗を確認されるも曖昧な返答で開発を放置していたからだ。出し抜けにfacebookが登場したんじゃヴォス兄弟が激怒するのも無理もない。
爆発的に拡大するfacebookだが 利益はなかった。ザッカバーグはリスク分散として、「ワイヤー・ホグ(Wirehog)」なるピアツーピアのコンテンツ共有サービスのソフトウェアの開発をしている。まだfacebookが成功するなんて、夢にも思ってもいなかったようだ。
前述したフレンドスター、リンクトイン、マイスペース等の他、各大学でもfacebookと似たようなSNSは存在し、各大学内にそれなりの利用者はいたようだ。それにも関わらず、facebookが一気に広がっていくのは、それだけfacebookが使い易く、男女の不純な気持ちを生じさせる魅力的なツールだったからに違いない。
サイトが公開されて2か月ちょっとの2004年4月半ば、共同創立者のサベリンが thefacebookを正式に法人化する。とんでもないスピードだよね。
急拡大するfacebookに企業や投資家がザッカバーグに声をかける。YahooやGoogleも買収に乗り出してくるんだ。この頃のザッカバーグは、まだ20歳そこそこの瘦せ細ったギーク青年でしかなかったんだよ。
日本は MIXI が大流行

MIXI 画像:ITmedia NEWS
ちなみに日本の初のSNSと言えるミクシィ(MIXI)が2004年に始まっている。オレンジ色を基調とするサイトだった。当時昼休みになると、当時 私が仕事をしていた100人ほどのシステム部門のモニターのあちこちがオレンジ色に染まった。オレンジ色のモニターは、みんなMIXIをやっていたんだ。この頃の日本は、まだfacebookは流行していなかった。MIXIが流行っていたんだ。
勿論、私もミクシィにメンバー登録していた・・・あまり使わなかったけどね 😆
この頃の日本もこうしたサービスを提供出来る土壌はあった。今ではアメリカのパワーが強すぎて、日本産SNSが登場するには相当ハードルが高い。
【Yahoo・Google・facebookの年表】

Yahoo_Google_facebook/クリックで拡大