1994年~1998年頃
世界最大のオンライン・サービス会社(#2/4)
アメリカ・オンラインは世間に認知されてからは飛躍的に成長するが、栄華はそれほど長くはなかった。言い方は悪いけど、個人的に花火のように脚光を浴びて一瞬で消え去った印象がある。オンラインサービスだったため軽く見られがちな企業だけど、AOLはインターネット黎明期に大きな影響を与えているんだ。
Google、Yahoo、Microsoft、Sun、Netscape、Oracle、FacebookなどのIT業界史のインターネット黎明期には、AOLは必ず登場してくるんだ。
facebookを例にすると、大学内で公開されたときは、顔写真、性別、未婚か既婚、恋愛対象の性別、趣味、恋人募集中など自己紹介文を載せられたが、AIMハンドル名の記載も出来たんだ。AIMとは当時大人気のAOLのインスタントメッセンジャーのハンドル名、多くの学生は当たり前にAIMハンドル名を持っていた。
1998年12月、日本では翌年の2月に「ユー・ガット・メール(You’ve Got Mail)」が公開された。当時、見逃したこともあり、この原稿を書くことを機にAmazon Prime Videoで有料視聴した 😆
【関連】024 ユー・ガット・メール
インターネットで知り合った男女がメールのやり取りを通じて惹かれていくラブ・コメディだ。この You’ve Got Mailのオンライン・サービスがまさにAOLなんだ。コンピュターを介しておしゃべりすることは、とても進んだお洒落なライフスタイルだったんだよ。
1997年初頭にAOLが日本にも進出している。私は会員にならなかったので、詳細は知らないが、1990年代初頭から相当の期間、Welcome、Goodbye、You’ve Got Mail、Files doneなどの音声は提供されていたようだ。
映画のシーン:AOLのロゴと文字が見える
ビル・ゲイツはAOLの買収が無理としても支配下に置きたかった。AOL内部も売却賛成派と否定派に分かれた。1993年頃のAOLは会員数25万人程度、CompuServeとProdigyに対して会員数は遠く及ぼなかったことと、消えていくオンライン・サービス会社を沢山見ているからだ。「今なら高値で身売り出来る。それともこれからの荒波を乗り越えていくか」に意見が分かれたってことだね。
しかし、AOLがぐずぐずしていることもあり、ビル・ゲイツはWindows95発売に向けて自前でオンラインサービスの開発を進めるんだ。
メールサービスはインスタント メッセージ
上の画像は、「To : Shopgirl」、お店の経営に悩む Shopgirl(=メグ・ライアン)に「僕ならアドバイスが出来るよ」とタイプするトム・ハンクスの送信画面
1993年 AOLは、無料試用期間を設けたCD-ROMの無料配布を全米で行った。この作戦は日本進出時でも行っている。日本の方法と同様であれば、米国でも家電量販店やPC雑誌や一般雑誌に絨毯爆撃のように配布したはずだ。
とても危険な戦術ではあるが、アメリカではこれが見事功を奏した。
定かではないがCompuServeとProdigyは有料ソフトだったこともあり、無料試用できるAOLサービスを手軽に試す人が沢山いたんだ。ちょうどIBMとマイクロソフトがOS/2の開発で大喧嘩している頃でもあり、IBM資本のProdigyは、Windowsの対応が遅れに遅れた。CompuServeはトップ画面と浅い階層はWindows対応だったが、下層は従来のままのテキスト対応だった。
映画:You’ve Got Mailより
AOLは、クァンタム社時代にアップル社のオンラインサービスを開発運営をしていたこともありアップル版は問題なく対応したし、市場規模の大きいWindows版も素早く対応を行った。こうした事象が重なり徐々に会員はAOLに流れていったんだ。
参考までに記すと、1993年AOLの会員数25万人程度、1994年には100万人となり、1995年の終わり頃には400万人、1996年を折り返す頃には全世界で600万人を超える世界最大のオンラインサービス会社と称されるようになるんだ。2000年には世界各国に進出している。
「AOL(超巨大ネット・ビジネスの全貌)」初版 2000年3月 なる本の397頁には、数字を盛っている可能性はあるものの世界合計会員数が2,000万人との記載もある。本当かな?